連日、テレビを賑わせているアメフト問題
当該選手や監督、コーチの罰則がどうなるか、よりも
蝶よ花よともてはやされ、ある一定の権力を持っていた人が
奈落の底へ落ちていく変わり身の速さに驚かされます。
絶対的権力がある間は皆が従うのだろうけど
一つ間違うと全員が一斉にそっぽを向いてしまう。
あっという間に昨日の自分の立ち位置は
足元からすくわれてしまいます。
恐ろしい・・・。
パワハラ、セクハラ、あらゆることが昔と違う中
スポーツ界は一番そこから遠いところにあるのかもしれません。
私はいわゆる「体育会系」が苦手です。
一つは高校時代の先生のえこひいきがひどかった記憶。
もう一つは娘たちのバレーボール経験。
試合に負けても飄々としている娘に対し、顧問はよく
「悔しくないのか?お前は」と詰め寄っていました。
「涙を流さないと悔しくない、ってことになるのか」
娘がそう言っていたのを思い出します。
先生にとっては悔し泣きしてる子の方がわかりやすいのだけど
涙を流さない娘は、悔し泣きするほど一生懸命プレーをしなかった
そうみなされたようです。
そんな娘が壁に立たされ
ボールを投げつけられるのを見て
「先生にわかりやすいよう、泣き真似したら」
そんな助言すらしていた母です。
へそを曲げて「今日は練習はしない」と帰って行く
そんな先生のあとを追って、「すみませんでした!練習お願いします」
な〜んてやってる子供を見て
「子どもたちも大変だなあ」つくづくそう感じていました。
椅子を投げる先生、ビンタ、罰のランニング、水も飲まない部活動・・・
今やスポーツは努力、根性の時代ではなく
データ化、科学する時代。
褒めてモチベーションを上げる、だとか
その子、その子の基質までも見極める時代。
いろんなタイプの人間がいる中
力だけで人を動かそうとするやり方は
どう考えても無理があります。
そんな中
起きてしまった今回の問題。
どんな立場になろうと
「あの人は人生において、大切なことを教えてくれた師」
そう思われるような指導に変わって行くこと。
永遠に続かない時間だからこそ
若い時間に埋め込まれていく記憶は
とてつもなく大切な貴重な記憶である、ということ。
勝て。
勝つためにやってる。
勝って当たり前。
勝たせた名匠こそ称賛に値する。
上の世代から殴られ蹴られたから
後輩にも同じことをやる。
そんな時代の
終わりの始まり。
そんな、いろいろ考えさせられる
アメフトの出来事でした。
怪我した選手がアメフトに復帰できたことが
何よりの救いです。